中山やすしの考え方
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中山やすしの
考え方。
中山やすしの
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200円バスで乗客を増やし、市の支出は減少
乗客が少なく「空気を運んでいる」と言われていた路線バス。市の財政負担も大きかったのですが、高齢の方や学生の移動手段としては必要なものでした。その解決策を探る中で、「1人200円でも、7人乗れば結果は変わらない」と発想。市の負担は同じでも、乗って喜ぶ人が増えるなら、それに懸けよう!と。
地元高校生が「それなら乗る!私たち運動します!」と言ってくれたこと。老人クラブの皆様や市役所職員の熱意も重なり、200円バスは実現したのです。結果としては乗客数はなんと2倍以上になり、市の支出も減る、という理想的な結果になりました。
もし、目の前の金銭のために廃止の方向へ進んでいたら、住民が困るだけでなく、観光などの新たな可能性は生まれなかったはずです
地元高校生が「それなら乗る!私たち運動します!」と言ってくれたこと。老人クラブの皆様や市役所職員の熱意も重なり、200円バスは実現したのです。結果としては乗客数はなんと2倍以上になり、市の支出も減る、という理想的な結果になりました。
もし、目の前の金銭のために廃止の方向へ進んでいたら、住民が困るだけでなく、観光などの新たな可能性は生まれなかったはずです
住民の願いは原発推進ではなく地域の振興
30年間という永きに渡って、賛成派と反対派の対立があった久美浜の原発計画。当時は東日本大震災が起こる前でしたが、中山は市長に立候補する際、原発計画について「丹後の自然を活かしたまちづくりを進めるべきで、原発は馴染まない」としていました。しかし、市長として当選後、すぐに原発を拒否したわけではありませんでした。それはなぜかというと、「賛成派の方も、反対派の方も、地域の発展を願っているという意味では変わらない」ということが分かったからです。
そのために中山は、原発に頼らないまちづくり計画を1年かけて推進。かつ、問題だった地域振興のための財源も別線で確保した上で、原発計画を拒否しました。
「全員の勝利だ。」誰一人として、悔しい思いをせずに済んだのです。
そのために中山は、原発に頼らないまちづくり計画を1年かけて推進。かつ、問題だった地域振興のための財源も別線で確保した上で、原発計画を拒否しました。
「全員の勝利だ。」誰一人として、悔しい思いをせずに済んだのです。
医師不在を乗り切った府立医大との連携
平成19年、医師の研修制度が変更になり、地方に派遣されていた医師が一斉に引き戻されました。当時「弥栄病院」は色んな大学病院からの派遣で成り立っていたため、急激な医師不足に陥りました。中でも産婦人科は常勤医師が不在に。病院そのものの存亡の危機でした。
そこで中山は助産師の皆様と連携し「助産師外来」を設立。ふるさと病院の先生の協力もあり、お産ができる体制を整えることができました。同時に病院全体の医師確保のため奔走し、京都府立医大との連携が実現。弥栄病院は存続することができました。里帰り出産や皆様の健康のため、なんとしても…という決意の表れでした。その後弥栄病院の大規模な改修も決定し、さらに充実した医療環境となりました。
そこで中山は助産師の皆様と連携し「助産師外来」を設立。ふるさと病院の先生の協力もあり、お産ができる体制を整えることができました。同時に病院全体の医師確保のため奔走し、京都府立医大との連携が実現。弥栄病院は存続することができました。里帰り出産や皆様の健康のため、なんとしても…という決意の表れでした。その後弥栄病院の大規模な改修も決定し、さらに充実した医療環境となりました。
Nakayama’s Policy
誰ひとり置き去りにしない。「全員にとっていい」を諦めない。